The New York Times Weekly Reviewのジョン・レノン死亡に関する記事
【1980.12.14(日)付;朝日イブニングニュース社発行】

images/NYT1.jpgAnd in the End, A 'Stupid Tragedy'

『ついに起こったおろかな悲劇』とでも訳せばよいのか……(in the Endと言うのは、もちろんビートルズの曲名を意識しているものである。)
マーク・デビット・チャップマン、ジョン・レノンをピストルで射殺した犯人の名である。彼はジョンの熱狂的なファンで、わざわざハワイからニューヨークまで、ジョンのサインと命を狙ってやってきた、と伝えられる。
ロンドンのスタンダード新聞はこの事件を「おろかしい悲劇」と報じている。ビートルズの歌声を一度も聴いたことのない人たちにとっても、ジョンの死は非常に大きなショックのようだ。
1964年のアメリカ・ツアーに端を発したビートルズ旋風は、あっと言う間にヨーロッパからアメリカまでをなめ尽くし、若者文化の最先端を走っていった。リバプールの労働者階級出身の四人の若者たちは、性の開放、ドラッグ、東洋的神秘主義、政治的反抗、等など、若者たちの先頭となって摩訶不思議な未知の旅へと我々を案内してくれた。
ジョンは「考えるビートルズ」と呼ばれ、グループの創造的な頭脳の中心だと思われていた。実際、ポール・マッカートニーによれば、ジョンはビートルズの革新的な音楽作りに多大な影響を与えている、と言うことだ。
ジョンは1975年以来、ニューヨークで洋子夫人と息子の三人で静かな生活を送っていた。そして、この10月に40歳になったばかりであった。夫婦での新たな音楽活動の始まりとして、十一月に五年ぶりのアルバム『ダブル ファンタジー』が発売されたばかりである。

images/NYT2.jpg'John Lennon Will Live On'

『ジョン・レノンは我々の心の中で生き続ける』New York Timesの読者から、編集部宛に送られてきた、追悼の投書)

私は60年代に青春を過ごしました。色々な意味で変化の大きかった60年代において、ビートルズの存在は抜きん出たものでした。彼等四人の歌声は、私を愛と悦びで包んでくれました。私は彼らのコンサートに興奮し、彼らの生命に対する慈しみの態度に心から打たれたのです。

そして最も感謝したいのは、ビートルズが私と同時代の多くの若者と私を結び付けてくれたことです。

私はジョンが四人の中で最も好きでした。彼の控えめだけど湧き出るほどの知性、そのユーモアのセンス、人間性に対する彼の考え方、高貴さそして何より家族を大切にする生き方に……

ジョン・レノンは死んでいません。彼は、彼の創りだした音楽の中だけでなく、彼を愛する多くのファンの心の中で生き続けているのです。

サンドラ・ローダン;ニューヨーク在住;1980-12-9付け

ジョン・レノンの悲惨な死によって、ガン・コントロール「銃規制」がアメリカにとって最重要の課題であることが、より鮮明になった。

人々の生命と財産を守るために、開拓時代に端を発するこの拳銃文化は、頻発する犯罪と、法の正義に頼れない部分を補うために、市民社会に深く根付いてしまっている。

強い経済力も強力な警察力・軍事力も、我々個人の生命を財産を守れないとしたら、全く意味のないものである。

パトリシア・L・イスラー;ニューヨーク在住;1980-12-9付け

images/NYT3.jpg'Lennon Energized High Art With Pop'

『ジョン・レノンは芸術をポップで活性化した』(ジョン・レオナルド)

60年代において、我々の多くはパルチザン・レビューの編集者リチャード・ポアリエを軽んじていた。当時彼は頻繁にかつ熱心にビートルズにつて語っていたのである。我々は皆、何でビートルズなんかよりジェイムズ・ジョイスを取り上げないのか、といぶかったものだ。

しかし今となっては彼を笑いものにする人などいない。今となっては、ジョン・レノンのおかげでビートルズは、アメリカのロックと幼稚な詩を、ジェイムズ・ジョイスやルイス・キャロルにまで引き上げてくれたのは明らかである。

ジョン・レノンは理知的でありたいと思っていた。彼は二つの著書を持っている。

ニューヨーク在住のアーティスト、Kenji Kojimaさんから送っていただいた、ニューヨークポスト紙『ジョン射殺さる』の号外。